初買物をした。
携帯ではなかった。
新年のご挨拶をもらって、何人もの方から「携帯をかいました」と聞かれた。まるで皆相談したかのようだった。自分が携帯を持つか持たないかこれだけ関心を持ってくださるなら、もう少し頑張ろうかなと思うぐらいだ。
でも、全然買う気がないわけではない。現に年末に同僚の先生に携帯ショップまで案内してもらって、買わせる集団に囲まれ、5分ぐらい真剣に検討したのも事実だった。
ただ去年の最後の買い物(買い納め?)にしたくなかった。一年も頑張ってきたのに、買ったら今までの努力は水の泡になるからだ。
師走の三十日に池袋の家電量販店へ行った。あらためて携帯の種類の多さに驚いた。貧弱な言語生活にあんな豊富な機種が必要なのか。あの何百画素のカメラで取った写真は何枚記憶に残っているだろうか。店頭で機種の選択に困ったとき、一人の客が店員に「もっと早く打てる機種があるか」と聞いた。あの痙攣のような打ち方を見ると自分の手も腱鞘炎にかかったような不快感を覚えた。そんなに話すことがいっぱいあるなら、面に向かってじっくり話せと言いたくなった。
とにかくその日は、買うのをやめた。機能、デザイン、値段、サービスなどを総合的に判断する力が、携帯の圧倒される多さに奪われたからだ。
中国では、携帯人口は三億を超えたと聞いた。自分がその三億から外された存在になっているのが寂しい。
常に失踪だと思われ、捜索願いを出されそうなので、そろそろ終止符を打たなければならない。
それにしても、初買物の品にもしたくなかった。それは、新しい一年は敗北からスタートするということを意味するからだ。
初買物は、DVDプレーヤーだった。NHKの「夢の美術館――――うるわしのアジア仏の美100選」で大好きな鑑真和尚が紹介されるという予告番組を見て、その本編を録画するためだった。
鑑真の瞳に宿る故郷の月よ明日も青く輝け
鑑真の生きいるようにとじいたる御目の奥には中国(くに)の月かも